2014年5月7日

資本主義


身体が資本ですよ。

なんて言ってしまった自分に自己嫌悪。
資本なんてどうでもいいのだ。
体調を崩した個人が大切なのに。

社会に、
資本主義社会に、
飲み込まれてしまうな。

2013年11月28日

静かに崩れていく


其の人が自分の見たもの、感じたことが爆発したとき、
言葉でなく形として表現されたものを“芸術”というのだと思う。

それを“芸術”と捉えるのは各々の価値観や完成であり、
ある人はそれを見て嗤うかもしれないし
ある人はそれを見て涙するかもしれない。

芸術ってそういうものだと思う。


―だが、最近、
芸術は美しいものを美しいと
その物体や情景、現象に隠れて潜んだ美を証明するためにある
一種のツールなのかもしれないとも思った。

2013年11月27日

後生だから、ね。お願い。


あっという間に二〇一三年も終わろうとしている。

この一年は私の人生で最も濃い年だったと思う。
本当に色んな事が重なった。

―といっても、まだ二十歳。


この頃は心が鈍感になりつつある気がしている。
逃げているだけかもしれないが。

日記をつけている。
気が向いた時だけだが。

これは自発的に始めたのだが、精神科の先生からも
『日記を書いているの?じゃあ、そのまま続けてみなさい。』
と、言われたので継続しているわけだけど。
自分の感情と向き合うというのはどうも気が滅入る。

嫌になるね。



先日、伊勢丹へ行ったときに思ったのだけどね、
私の冬が好きな理由は街並がキラキラとしているのもそうなのだが
歩いている人たちがとても活き活きとしているからなのではないかと。

皆、幸せそうなのだよ。

本当に。

良いね、この季節は。


賑やかな街から抜け出した静かな夜はとても清々しくて
肺にまで冷たい空気が入ってくるのがよく解る。
此処に帰ってきたとき私は「やっぱり私の居るべき場所は此処なのだ」と強く思う。

必ず、彼が私を待っていて、迎えてくれる。


一所に留まっていられないのが私らしくて自由な気もしていたけれど、
こういうのも悪くないかと最近は思う。

2013年6月24日

私たちは間違っていたのか


ああもう…。
携帯を変えてからまったく此処のことを忘れていたよ。

いけないね。

といっても一ヶ月くらいか。


この一ヶ月、もの凄く長かった気がする。
色々あったのだろう。

頭が回らないのだよ。
困ったものだ。


2013年5月1日

我が唯一の望み


ああ、そうそう。

『貴婦人と一角獣展』へ行ってきました。

























久しぶりに美術館へ行きました。
昔はよく行っていたのに…。


一歩其処に踏み込んだ途端えも言われぬ澄んだ空気に飲まれてしまい、
思わず息を飲んでしまった。

素晴らしかった。

胎児は踊る


いやね、
忙しいことは無いのよ。

只ね。
只、一一書き留める暇もないほど感情が移り変わってしまって。




悲しいかな。

持続しないの、もう。

2013年3月5日

変化


目に見えないものの大半は重要なことで、

重要なことに対しては理屈が追い付かないものだ。


「愛する」とか「死ぬ」とかいうことに対して合理的な説明を求めるのは、
その行為自体を軽く見ている証拠。


其なのに大抵の人間は理屈なしじゃ生きていけない。自分の行動に理由を見つけたがる。
私もそのクチだし、またそれに対して嫌悪感も抱いている。

理屈づけを嫌うあまり、なるべく理由のない行為をしようという、倒錯におちいる。


勿論、理由なんかなくても構わない。目的意識も。

行動自体が理由であり目的である、
というような単純明快な生き方をしている人は少ない。


「…のために」とか「…だから」というアップビートの人々をみていると
『理屈はあとだ、みんな死ね』と、思っていた。


ところが、最近は
『かってにしてれば良い、私は私であなたはあなただから関係ない。』
と思えるようになった。


2013年1月20日

愛している


私は、彼の笑顔と幸せを、約束したい。
護りたい。


悲しみや苦しみの中でも負けないようにいつでも側で支えたい。


彼の心に潜む孤独を埋めてあげたい。
いつも寂しい彼を満たしたい。



彼の中の葛藤に立ち向かう勇気をどうか、
彼が負けないように。
—神様なんて居ないから。

彼が強く居られるように。

私が全てを受け止めてあげるかわりにもっと強く強くなってほしい。

別れても平気で居られるよう。

2013年1月10日

クロロホルムに痺れる


遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

二〇一二年、下半期は身体が悲鳴をあげた。
「あそこが痛い」「ここが痛い」と病院を駆け巡った。

今年はもっと自分の身体を労りたい所存です。
無理をしないようにしたいものですが、
神経を研ぎすませ敏感に、目一杯生きたいです。

身体と心とが離れてしまわぬよう、
凛と生きてゆきたいものです。


振り返ってみれば
約一年前以上から彼のお話ばかりしてきましたね。

二人で生きていくというのは、一人で生きていくのと同じように
覚悟が必要なのだと思う。

秩序や協調性無しでは維持できず、
愛情や情熱がないと保たない。

なんとも不安定なものですね。

関係を保つのが不安定なように私の心も不安定で、
「くっついているからこんなに悲しい思いをするのだ。」
本当に、しみじみそう思う。
それなのにどうしていつもくっついてしまうのだろうか。

—そうこう考えている時。
彼が弱ってしまったとき、一番近くで支えてゆきたいと思った刹那、
常に私の一番近くには彼が居て支えられているのだと気がついたのです。

毎日毎日心から感謝しています。


まだまだ、一生とは言いませんから、
出来る限り、側に居させていただければ幸いです。


新年の挨拶というものは、
面倒くさいものですね。

特に言う事もないので、この辺で。

2012年11月25日

えそらごと


晴天は、恒常化してしまった不幸に似ているという。
私もそう思うし、また、恒常化した不幸というのは、ある意味「絶望」と同じなのだと思う。
じりじりと照りつける太陽よりも、豪雨の方が、優しいじゃない?

2012年11月20日

エレジー


人間社会というものは、一方的には片付かないものだ。

善悪は共存し、幸不幸は共存する。
そして、生死も共存する。

人は、必ず死ぬ。

人が死ななくなったとき、
人生も地球も終わりだ。

2012年11月9日

畳に一寸のチリが積もっていようとも。


私は、女性の愛に対して飢餓感のようなものを抱いている男の人が好きだ。
構って欲しがる人が可愛くて仕方ない。

彼がそういう人なのかと聞かれてもそうとは断言出来ないが。
彼の良さはソコばかりではないのだ。

もう何年生きるか、哀れな人間同士であってみれば、
なるべく仲良く一緒に、乗り掛かった船とあきらめて、死ぬまで信じあって生きてゆきたいものですね。

それには、もっとお互いに愛情の技巧に気を付け、電車に乗るときには一緒に掛け、

腕を組んで野山を歩き、月や花を愛し合い、時には立った接吻を交わし、夜の愛撫にも慰めあい、いたわり合い、
お互いのよろこびの源泉をふかくし、お互いのよろこびを教え合い、ヤキモチを妬かず、深く信じ、

事破れた時には率直に、なつかしい昔の夫婦だったという立場から相談し合うことに致しましょう。

大切にしていきたいです。

2012年11月1日

社会秩序から逃げ出したい


「あゝ、然うだね、」と納得はしたものの、まだ何だか、不心服らしい顔色で…。

そういうものなのですよ。
誰も何も言えやしないのです。


最近気が付いたのだけれど、
私は自分が思っている以上には皆様の言う“普通”ではないかもしれないが、
皆様が思っているよりは“普通”です。

色々と世間体は悪い人間かもしれないですけれども、
—いえ、何せ、あなたと変わりませんよ。

ただ、先日ステレオタイプな日本人の父親と話していて、
自分が世間一般からは若干ですが、外れた価値観の持った、所謂マイノリティーな人間であると知ったのです。

どうりで生き辛いわけですよ。

理解されない悔しさは何者にも代え難いのですが、
それも一つの考えなのだなと理解する努力をするしかないのですよね。

2012年10月13日

救いようの無いロマンチスト


フと、
年始の記憶を朝方の雨に執拗に重ねながら、
彼の顔に不安な眼差しを向ける私を、彼は黙って見返す。

いつだってそうだ。
情痴のはてのうつろなうたた寝の頃になれば、私は、いつだって不安で仕方が無い。

『生きたい』と、以前よりも思えるようになったのに
どうしてだか結局、静寂に溶けていきたい。

もう、二度と会えないかもしれないからいつだって心底愛している。

冷たい空気の中で、小さな生を確かに感じながら消えたい。





2012年10月2日

えも言われぬ不安感


毎日カフェへ行き本を読むのが無駄遣いだとはこれっぽっちも思わないし、
私からしたらライブへ行くのと同等、若しくはそれ以上に有意義でしあわせな時間なわけだ。

つまり、此が散財の理由だったということ。

そりゃあ不安にもなる。私にはいっさいの心理学の知識がない。
残念なことに、勉強をしても何をどうしたら良いのかがわからないのだ。
自殺したい人をどう救うのだ。
もう混乱するばかりで、しあわせな時間があっても全うな人間として生きていける気がしないので、いっそ死んでしまった方がましだ。
ともすれば、私はそんなことを考える。
併し、そんなあたしにも命を惜しむ本能だけは備わっていたと見えて、
十九歳の今日が日まで『死ぬ死ぬ』といいながら、つい死にきれず生き長らえているのでした。

が、まだ十九。
所詮十九歳。

—もう十九歳。

怖い。
目先の欲ばかりに手を出してられないのだ。

2012年9月21日

恋愛論


『どうして私なんかと』と、心底思う。

メンヘラ 、摂食障害、薬浸け、喫煙者、酒飲み、バイセクシャル…
過去のことだとしても、ごめんね。

犯罪者ですよ、わたしは。病気。

先日記念日だったのだけれど。
当日彼は覚えていてくれて、皆の前で「今日記念日」と言うの。
「俺、デレデレ」とか言ってしまうの。


凄く嬉しいのですよ。こんな人間で申し訳なくなる。
自分の弱さと卑屈さがひどく醜くて悲しい。

愛している。


私は、にわかに、彼の、孤立無援の、覚つかない生きざまと愛を、しっかりとそのまま掻き寄せてみたかった。
でも、知れば知るほど彼は孤立無援でもなんでもなく、いつも誰かに支えられ素敵な友人たちに囲まれて生きていた。
素晴らしいと思ったと同時に嬉しくなった。

なにより、私は幸せだと感じた。
大切な人が幸せなことがこんなにも仕合せなのだと、初めて知った。

あなたの仕合せの中に私が居ればいい。
構築している半数をしめていたら笑ってしまう。


あなたと世界中の星空をみてみたい。



—寂しい。

2012年8月27日

顔は宇宙だ


ひとつだけ思い知った事。
人を簡単に信用してはならないし、誰しもが敵になりうるという事。

早くお慕いするA氏に会ってハグをしたい。

今すぐ落ち着きたい。

孤立の複合体


つまり『STAND ALONE COMPLEX』。
私たちは社会という或る集団の中でしか生きられない弱い生き物なのだ。
高度な社会性を持った生き物というべきだろうか。


何が何であれ、一度社会システムの中にとけ込んでしまえば何がオリジナルであり、
誰が模範者なのかなんて一々気にしていられなくなる。
所詮オリジナルの存在しないコピーになってしまうのだ。
どんなに嫌でもそんな世界に上手く順応していかないと、私たちはいつまでも孤独だ。
—…いや、孤立か。

ただ、今日は
日頃自分の好き嫌いを主張する事もできず、
訓練された犬の様に人の言う事をハイハイと言ってほめられて喜んでいるような模範少年という連中は、
人間としてもっとも軽蔑すべき厭らしい存在だと痛感したのである。


そんなことよりもだ。
ネットが普及してきたお陰で、覗きが趣味な人間が増えた。
仕様の無い情報に踊らされてばかりで下らない。
私が一言嘘で「○○と、一度夜をご一緒しましたの。」なんて書けばもう大騒ぎだろう?
根も葉もない一言で何を言っているのやら…。
どうも私の私情や生活が気に触る人間が居るらしいのだよ。
面倒くさいね。

個人情報垂れ流しの私としては、何も否定は出来ないのだけれどね。

その行為が行動が誠実なのか不誠実なのかの見分けもつかない。
私は赤ん坊と同じなのかもしれない。
「コラ!それは、いけないことなのよ!」と、叱られるまで何の悪意も罪悪感も無いのだ。
叱られても尚、何がいけないのか理由が解らないのだ。


しっかりと私が理解してくれるまで唱えて下さる方が居て下されば… なんて、もうこの歳で言う事でもないか。


まあ、そこまで他人に執着出来る人が羨ましいですよ。
兎にも角にも他人に迷惑をかける情報は一切流しやしないので。
何卒。


2012年8月16日

春昼


否、結構ですとも。
恋で死ぬ、本望です。
此の太平の世に生れて、戦場で討死をする機会がなけりや、おなじ畳の上で死ぬものを、憧れじにが洒落ています。

灼熱の太陽の下、
息が止まるような恋をしているのです。


子供のような彼を、
どうか彼を、
悲しませることがありませんように。

仕合せでありますように。

素敵な友人に恵まれた彼に、
どうか—。

2012年8月1日

上手く動かせない



人間が人間であるための部品が決して少なくないように、
自分が自分であるためには、驚くほど多くのものが必要なのだ。
他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる掌、幼かった頃の記憶、
未来の予感…。


人間なんて、単なる自己保存のプログラムに過ぎないのだろう。
遺伝子という記憶システムを持ち、幼い頃からの記憶で形成されている。


ただ、同じシステムを持った私たちにも個性を作り出すひとつの方法として
“好奇心”があるのだと思う。


ところで、
私が、他人やネットから得た膨大な情報は私の記憶や意識として私の一部になる。
つまり私は、この社会から構成されているということになってしまう。
悔しい。


本当の自分とは、一体なんなんでしょうね。