目に見えないものの大半は重要なことで、
重要なことに対しては理屈が追い付かないものだ。
「愛する」とか「死ぬ」とかいうことに対して合理的な説明を求め
その行為自体を軽く見ている証拠。
其なのに大抵の人間は理屈なしじゃ生きていけない。自分の行動に理由を見つけたがる。
私もそのクチだし、またそれに対して嫌悪感も抱いている。
理屈づけを嫌うあまり、なるべく理由のない行為をしようという、倒錯におちいる。
勿論、理由なんかなくても構わない。目的意識も。
行動自体が理由であり目的である、
というような単純明快な生き方をしている人は少ない。
「…のために」とか「…だから」というアップビートの人々をみていると
『理屈はあとだ、みんな死ね』と、思っていた。
ところが、最近は
『かってにしてれば良い、私は私であなたはあなただから関係ない
と思えるようになった。
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