2011年9月11日



偶に誰かに名前を呼ばれたくなるのです。
自分が一体誰なのか知りたくなる。


(昔は毎日のようにそんな事を考えていました。)


『私は一体誰?』という問いに、
私の名前を答えてもらえると心なしか安心するのでございます。
ですが、その安堵は一過性のモノでしかないことには気が付いています。
解ってはいるのだけれども。


自分が一体何なのか、
自分の存在が不確かである限り不安になる度そうして他人に請う。
何処まで他力本願なのです、私は。


他人が何度も私の名前を呼んだところで
その場を凌いだだけであり結局答えは見つけられていない。


知りたいのはそういうものではないので…。


正に、自分の生き方に自身を持てていない証拠であります。


しかし、
一向に"未熟であること"を認識できていないのは
私なりに気が付いてはおります。



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