2011年9月29日
2011年9月13日
2011年9月11日
私
偶に誰かに名前を呼ばれたくなるのです。
自分が一体誰なのか知りたくなる。
(昔は毎日のようにそんな事を考えていました。)
『私は一体誰?』という問いに、
私の名前を答えてもらえると心なしか安心するのでございます。
ですが、その安堵は一過性のモノでしかないことには気が付いています。
解ってはいるのだけれども。
自分が一体何なのか、
自分の存在が不確かである限り不安になる度そうして他人に請う。
何処まで他力本願なのです、私は。
他人が何度も私の名前を呼んだところで
その場を凌いだだけであり結局答えは見つけられていない。
知りたいのはそういうものではないので…。
正に、自分の生き方に自身を持てていない証拠であります。
しかし、
一向に"未熟であること"を認識できていないのは
私なりに気が付いてはおります。
疑い
最近、小さな事で腹が立ったり悲しくなることが多い。
病的という程ではないが、いつかの私に戻ってしまいそうで…
「繰り返してなるものか。」
とは言うものの、
信頼している人への不信感は募る一方だ。
毎日どころではなく四六時中不安で溜まらない。
結局病気は完治しているわけでなく隠れていただけなのかもしれない。
怖い。
全て嘘に見えてしまう。
優しい言葉も笑顔も何もかもが。
私に対する好意は同情でしかないに決まっている。
最高のバーレスクモデル、ディータと私のバイブル、マンソン
素敵なカップルでした。
病的という程ではないが、いつかの私に戻ってしまいそうで…
「繰り返してなるものか。」
とは言うものの、
信頼している人への不信感は募る一方だ。
毎日どころではなく四六時中不安で溜まらない。
結局病気は完治しているわけでなく隠れていただけなのかもしれない。
怖い。
全て嘘に見えてしまう。
優しい言葉も笑顔も何もかもが。
私に対する好意は同情でしかないに決まっている。
最高のバーレスクモデル、ディータと私のバイブル、マンソン
素敵なカップルでした。
2011年9月8日
2011年9月4日
現実主義
どんな娯楽も基本的に一過性のものだし、またそうあるべきだ。
始まりも終わりも無く、ただ観客を魅了したまま手放そうとしない映画なんて、
それがどんなに素晴らしく思えても害にしかならない。
私たちには戻るべき現実がある。
夢は現実の中で戦ってこそ意味があるのだろう。
他人の夢に自分を投影しているだけでは、死んだも同然だ。
現実逃避をロマンチストというのなら、これはリアリストね。
2011年9月3日
2011年9月2日
描かれた青
最近、泣く事がめっきり減りました。
いえ、勿論良い事だとは承知なのですが
もっと感情を爆発させて生きていくことが大切だと思っていたのに
歳を重ねるごとに保守的になっているように感じるのです。
悲しい。
誰かを愛して泣いてみたり
誰かを慈しんで泣いてみたり
色んな感情を忘れてしまっている気がします。
只、貴方の仕合せを願うことや
貴方の笑顔を護る事に精一杯なのです。
もしそうだとしても、何も厭いはしません。
…いや、
強くなるとはこういうことなのかもしれません。
「泣いている暇などは無い」。
私は貴方を愛せずにはいられない。
嗚呼、答えは簡単でした。
つまり貴方を護るため強く居たいという気持ちがとても強いようです。
2011年9月1日
ゴーストが宿る
神という存在は数字の0に似た概念なのか?
体系を体系たらしめる為に要請される意味の不在を否定する記号。
そのアナログなものが神で、デジタルなものが0。
無宗教故にこんな考えが生まれるのだろう。
たまに、
何処かの宗教に入信して神に仕えてみたいなんて思う。
新しい自我が芽生えそうで。
ワクワクしませんこと?
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