2011年9月29日

自己言及の背理



私が居なくても
寄り添っていなくても
一人で生きていける貴方に、


私など必要無い。




貴方にとっての私は、
恐らく何の意味も無い。


私が居なくても、仕合せになれる。



2011年9月25日

水面で浮遊



BROWN BUNNY が観たい所存で御座います。


この季節になってくると
刹那的な恋愛に溺れて入水がしたくなる。


まったくX染色体と、この遺伝子が邪魔をする。




嗚呼、眠い…。

戦闘服



近頃はセーラー服を召して、
コスプレ(コスチューム・プレイ)を堪能しております。


まったく、仕合せです。


2011年9月13日

草迷宮


向こうの小沢に蛇が立って、
八幡長者の、おと娘、
よくも立ったり、朽んだり。
手には日本の珠を持ち、
足には黄金の靴を穿き、
ああよべ、こうよべと云いながら、
山くれ野くれ行ったれば…

石川県が誇る小説家、泉鏡花の「草迷宮」の冒頭でござります。

主人公が化け物たちの迷宮へと迷い込む、
なんとも不可思議で幻想的で神秘的なお話であり、
その題名の美しいこと。

魅了され題名をお借りした次第でございますが。

とは言いますが、
実際のところは
只々この美しい題名に対する小さな反発でございます。

憧れ、恋いこがれ、段々憎しみへと変わりゆくのです。

とどのつまりは
捻くれ者のやさぐれた無法な日記なのです。

或る感覚

9/11 SAT
フェク男祭り


at ANTI KNOCK




久しくライヴへ行っていなかったので、
あの時めきを忘れかけて居りました。


痣をこさえて帰りました。
ありがとうございました。


2011年9月11日

其れは、行く皃なり



其れは、
ためらわないことである。悔やまないことでもある。


だが、今の私には到底無理だ。



偶に誰かに名前を呼ばれたくなるのです。
自分が一体誰なのか知りたくなる。


(昔は毎日のようにそんな事を考えていました。)


『私は一体誰?』という問いに、
私の名前を答えてもらえると心なしか安心するのでございます。
ですが、その安堵は一過性のモノでしかないことには気が付いています。
解ってはいるのだけれども。


自分が一体何なのか、
自分の存在が不確かである限り不安になる度そうして他人に請う。
何処まで他力本願なのです、私は。


他人が何度も私の名前を呼んだところで
その場を凌いだだけであり結局答えは見つけられていない。


知りたいのはそういうものではないので…。


正に、自分の生き方に自身を持てていない証拠であります。


しかし、
一向に"未熟であること"を認識できていないのは
私なりに気が付いてはおります。



疑い

最近、小さな事で腹が立ったり悲しくなることが多い。


病的という程ではないが、いつかの私に戻ってしまいそうで…
「繰り返してなるものか。」


とは言うものの、
信頼している人への不信感は募る一方だ。


毎日どころではなく四六時中不安で溜まらない。
結局病気は完治しているわけでなく隠れていただけなのかもしれない。


怖い。


全て嘘に見えてしまう。
優しい言葉も笑顔も何もかもが。
私に対する好意は同情でしかないに決まっている。






最高のバーレスクモデル、ディータと私のバイブル、マンソン
素敵なカップルでした。

2011年9月8日

沈黙

愛しているのだから、
この愛に値する優しさで包み込みたいのだけれど…
近頃どうも思うようにいかない。

2011年9月4日

現実主義


どんな娯楽も基本的に一過性のものだし、またそうあるべきだ。

始まりも終わりも無く、ただ観客を魅了したまま手放そうとしない映画なんて、
それがどんなに素晴らしく思えても害にしかならない。
私たちには戻るべき現実がある。

夢は現実の中で戦ってこそ意味があるのだろう。
他人の夢に自分を投影しているだけでは、死んだも同然だ。
現実逃避をロマンチストというのなら、これはリアリストね。

2011年9月3日

吸ッ!!!!!


吸!吸!!吸!!!






FUCK


時代錯誤



十年程前に父から貰ったカメラ。


Nicon L35 AW AD




















もう、何年も使っていない。

久しぶりに何か撮ってみようかしら。

全ては成り行き


果てしない夜の静けさと虚無感に生気を吸い取られ
「私が無くなっていく」という、なんともファンタジックで抽象的な現象が
今、ハッキリと感じられる。

絶望 狂気 歓喜 愛 真空の切れ端 笑い 眩暈 吐き気 全て自己喪失でしかないのだ。

どうも、
今の私には「生と死の境で混沌としている」という、なんとも未熟な醜態を晒している
そんな恥さえも感じられない程に感覚が麻痺してしまっているらしい。

まったく情けない事態でございます。

2011年9月2日

散歩



あと、どれくらい生きられるのだろう。








描かれた青



最近、泣く事がめっきり減りました。


いえ、勿論良い事だとは承知なのですが
もっと感情を爆発させて生きていくことが大切だと思っていたのに
歳を重ねるごとに保守的になっているように感じるのです。


悲しい。


誰かを愛して泣いてみたり
誰かを慈しんで泣いてみたり
色んな感情を忘れてしまっている気がします。




只、貴方の仕合せを願うことや
貴方の笑顔を護る事に精一杯なのです。




もしそうだとしても、何も厭いはしません。


…いや、
強くなるとはこういうことなのかもしれません。
「泣いている暇などは無い」。


私は貴方を愛せずにはいられない。


嗚呼、答えは簡単でした。
つまり貴方を護るため強く居たいという気持ちがとても強いようです。

2011年9月1日

隠された私欲



私が求めるもの。


恐らく、温もり。

ゴーストが宿る



神という存在は数字の0に似た概念なのか?


体系を体系たらしめる為に要請される意味の不在を否定する記号。
そのアナログなものが神で、デジタルなものが0。


無宗教故にこんな考えが生まれるのだろう。


たまに、
何処かの宗教に入信して神に仕えてみたいなんて思う。


新しい自我が芽生えそうで。
ワクワクしませんこと?