2013年11月28日

静かに崩れていく


其の人が自分の見たもの、感じたことが爆発したとき、
言葉でなく形として表現されたものを“芸術”というのだと思う。

それを“芸術”と捉えるのは各々の価値観や完成であり、
ある人はそれを見て嗤うかもしれないし
ある人はそれを見て涙するかもしれない。

芸術ってそういうものだと思う。


―だが、最近、
芸術は美しいものを美しいと
その物体や情景、現象に隠れて潜んだ美を証明するためにある
一種のツールなのかもしれないとも思った。

2013年11月27日

後生だから、ね。お願い。


あっという間に二〇一三年も終わろうとしている。

この一年は私の人生で最も濃い年だったと思う。
本当に色んな事が重なった。

―といっても、まだ二十歳。


この頃は心が鈍感になりつつある気がしている。
逃げているだけかもしれないが。

日記をつけている。
気が向いた時だけだが。

これは自発的に始めたのだが、精神科の先生からも
『日記を書いているの?じゃあ、そのまま続けてみなさい。』
と、言われたので継続しているわけだけど。
自分の感情と向き合うというのはどうも気が滅入る。

嫌になるね。



先日、伊勢丹へ行ったときに思ったのだけどね、
私の冬が好きな理由は街並がキラキラとしているのもそうなのだが
歩いている人たちがとても活き活きとしているからなのではないかと。

皆、幸せそうなのだよ。

本当に。

良いね、この季節は。


賑やかな街から抜け出した静かな夜はとても清々しくて
肺にまで冷たい空気が入ってくるのがよく解る。
此処に帰ってきたとき私は「やっぱり私の居るべき場所は此処なのだ」と強く思う。

必ず、彼が私を待っていて、迎えてくれる。


一所に留まっていられないのが私らしくて自由な気もしていたけれど、
こういうのも悪くないかと最近は思う。

2013年6月24日

私たちは間違っていたのか


ああもう…。
携帯を変えてからまったく此処のことを忘れていたよ。

いけないね。

といっても一ヶ月くらいか。


この一ヶ月、もの凄く長かった気がする。
色々あったのだろう。

頭が回らないのだよ。
困ったものだ。


2013年5月1日

我が唯一の望み


ああ、そうそう。

『貴婦人と一角獣展』へ行ってきました。

























久しぶりに美術館へ行きました。
昔はよく行っていたのに…。


一歩其処に踏み込んだ途端えも言われぬ澄んだ空気に飲まれてしまい、
思わず息を飲んでしまった。

素晴らしかった。

胎児は踊る


いやね、
忙しいことは無いのよ。

只ね。
只、一一書き留める暇もないほど感情が移り変わってしまって。




悲しいかな。

持続しないの、もう。

2013年3月5日

変化


目に見えないものの大半は重要なことで、

重要なことに対しては理屈が追い付かないものだ。


「愛する」とか「死ぬ」とかいうことに対して合理的な説明を求めるのは、
その行為自体を軽く見ている証拠。


其なのに大抵の人間は理屈なしじゃ生きていけない。自分の行動に理由を見つけたがる。
私もそのクチだし、またそれに対して嫌悪感も抱いている。

理屈づけを嫌うあまり、なるべく理由のない行為をしようという、倒錯におちいる。


勿論、理由なんかなくても構わない。目的意識も。

行動自体が理由であり目的である、
というような単純明快な生き方をしている人は少ない。


「…のために」とか「…だから」というアップビートの人々をみていると
『理屈はあとだ、みんな死ね』と、思っていた。


ところが、最近は
『かってにしてれば良い、私は私であなたはあなただから関係ない。』
と思えるようになった


2013年1月20日

愛している


私は、彼の笑顔と幸せを、約束したい。
護りたい。


悲しみや苦しみの中でも負けないようにいつでも側で支えたい。


彼の心に潜む孤独を埋めてあげたい。
いつも寂しい彼を満たしたい。



彼の中の葛藤に立ち向かう勇気をどうか、
彼が負けないように。
—神様なんて居ないから。

彼が強く居られるように。

私が全てを受け止めてあげるかわりにもっと強く強くなってほしい。

別れても平気で居られるよう。

2013年1月10日

クロロホルムに痺れる


遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

二〇一二年、下半期は身体が悲鳴をあげた。
「あそこが痛い」「ここが痛い」と病院を駆け巡った。

今年はもっと自分の身体を労りたい所存です。
無理をしないようにしたいものですが、
神経を研ぎすませ敏感に、目一杯生きたいです。

身体と心とが離れてしまわぬよう、
凛と生きてゆきたいものです。


振り返ってみれば
約一年前以上から彼のお話ばかりしてきましたね。

二人で生きていくというのは、一人で生きていくのと同じように
覚悟が必要なのだと思う。

秩序や協調性無しでは維持できず、
愛情や情熱がないと保たない。

なんとも不安定なものですね。

関係を保つのが不安定なように私の心も不安定で、
「くっついているからこんなに悲しい思いをするのだ。」
本当に、しみじみそう思う。
それなのにどうしていつもくっついてしまうのだろうか。

—そうこう考えている時。
彼が弱ってしまったとき、一番近くで支えてゆきたいと思った刹那、
常に私の一番近くには彼が居て支えられているのだと気がついたのです。

毎日毎日心から感謝しています。


まだまだ、一生とは言いませんから、
出来る限り、側に居させていただければ幸いです。


新年の挨拶というものは、
面倒くさいものですね。

特に言う事もないので、この辺で。